2013年度夏学期のテーマ「契約理論」

はじめまして、松井ゼミの山内です。
今回の記事では来年度の夏学期のテーマについて説明します。
夏学期のテーマは「契約理論」で、扱うテキストは伊藤秀史『契約の経済理論』です。

契約の経済理論

契約の経済理論


契約理論については4学期に駒場で開講された「ミクロ経済学」や「マーケットとファイナンス」のマーケット担当分などで触れた方もいるかもしれません。また、「逆選択」や「モラルハザード」といった用語を聞いたことがあるかもしれませんが、この二つは契約理論において主要な問題となっています。


さて、契約理論とはどのような分野なのかを説明するにあたり、契約理論で分析の対象となっている問題を例示してみます。

・オークションにおいて、買い手にとってその財にどれだけの価値があるのかを売り手が知らない場合、売り手は自分の期待収益を最大にするためにどのようなオークション制度を設計すればよいか。
労働市場において労働者の能力を雇用主は採用する前に知ることができないが、企業はどうすれば採用したい労働者とそうでない労働者を選り分けることができるだろうか。
・財産保険会社は保険加入者が盗難や火災といった事故に気をつけるかどうかを観察できないため、保険加入者は保険の存在を当てにして事故を予防する努力をしなくなる誘因がある。どのような保険制度を設計すればよいか。


他にも多くの応用例がありますが、以上の問題に共通しているのは、「情報の非対称性」が経済主体間で発生していることです。オークションの問題では買い手にとっての財の価値、労働市場においては労働者の能力、保険の問題においては保険加入者の予防努力、が「私的情報」、つまりある主体には知られているけれども、別の主体には知られてない情報であるため、問題が生じています。一般に、「経済主体の特性」が私的情報である場合の問題を「逆選択」、「経済主体の行動」が私的情報である場合の問題を「モラルハザード」と呼びます。また、インセンティブの問題も存在します。例えば、労働市場において労働者に「あなたは有能ですか?」と聞いて正直に「はい」「いいえ」と答えてくれるならば雇用主はまったく苦労しないわけですが、実際にはそんなことはないでしょう。私的情報を戦略的に利用するというインセンティブが経済主体には存在するため、情報を開示させるにはインセンティブの問題を考慮した制度設計が必要になってきます。このように「非対称情報が存在するもとでインセンティブの問題を解決するための仕組み」が「契約」と呼ばれ、そのような問題を分析する方法を開発する分野が「契約理論」と呼ばれています。


ミクロ経済学」の講義で学んだ(そして苦労したかもしれない)一般均衡理論では、経済主体間の戦略的相互作用の分析はきわめて限定されており(価格メカニズムを通してのみ経済主体は反応するため)、また情報の非対称性の問題は存在せず、完全競争市場においては自由放任が社会的にも望ましい効率的な資源配分を達成するため、各経済主体のインセンティブを考慮する必要はありませんでした。一般均衡理論は市場間の相互作用を考慮するモデルですが、契約理論においては多くの場合、非対称情報やインセンティブの問題を分析するために一般均衡アプローチを一時的に保留し、ある経済取引を扱い他の経済全体とは切り離す部分均衡アプローチがとられます。そして結果的に少数の経済主体間の取引関係を分析するために、「マーケットとファイナンス」の講義で学んだゲーム理論の分析手法がよく用いられます。その意味では、契約理論とゲーム理論は密接な関係を持っています。一方で、契約理論は経済主体が直面する制度を価格メカニズムのみではなくインセンティブを考慮した制度に拡張した中での経済主体の最適化行動を扱っているという点で「ミクロ経済学」の講義で扱われた価格理論を拡張した理論であるともいえます。


以上で見てきたことから想像されるように、契約理論は社会における広範かつ多様な状況をカバーしています。経済学で伝統的に扱われてきた「市場における最適な資源配分」の問題のみならず、幅広い社会・ビジネスにおける問題に対して分析道具を提供することができる分野であると言えるでしょう。「非対称情報」や「インセンティブの問題」は冒頭で挙げた例のみならず広く社会に溢れており、またその多くは重要な問題となっています。松井ゼミに入って学んだことをもとに、社会・経済における関心のある問題を分析・解決する道標としたい方、また新しい問題を分析するための道具を開発したい方などなど、ぜひともにゼミで学びましょう。契約理論は講義で学ぶ機会も多いですが、自分の関心のある問題について他の学生や先生と議論しながら理解を深めていくならばやはりゼミが一番です。


リンク
『契約の経済理論』 (a course in contract theory) - Hideshi Itoh
ゼミで使うテキスト『契約の経済理論』の著者である一橋大学教授伊藤秀史先生によるテキストのサポート・ページ。練習問題、正誤表、補足説明などのほか、目次、イントロダクション、第1章「アドバース・セレクションの基本モデル」がPDFでダウンロードできます。

組織とインセンティブ設計の経済分析を豊かなものとするために - Hideshi Itoh
同じく伊藤先生による契約理論と組織の経済学、行動契約理論といったトピックについて触れたページ。今回の記事では触れられなかった、企業をブラックボックスとして扱う伝統的な企業理論への批判としての企業組織の分析という契約理論の側面について解説されています。

伊藤秀史(2007)「契約理論 ミクロ経済学第3の理論への道程」『経済学史研究』49(2): 52-62.【PDF】
同じく伊藤先生が契約理論の発展の経緯やその意義について『経済学史研究』内に執筆された文章を伊藤先生がWeb上にPDFでアップロードしたもの。今回の記事はかなりの部分でこの文章に影響されています。

ECONO斬り!! 契約理論と企業・金融
政策研究大学院大学助教授の安田洋祐先生が執筆なさっているブログ「ECONO斬り!!」における契約理論に関するエントリー。やはり今回の記事では触れられなかった契約理論における「不完備契約」に関する文献やその他契約理論のテキストが紹介されています。